山梨で大講演会を終えて、次は会津に移動し、磐梯熱海温泉に宿泊して、翌日は仙台で仕事をして帰る。ほぼ日本半周の日程の旅だ。
時は48年ぶりの寒波に見舞われた日本列島、しかもその時、仕事で東北に行くとは・・・
郡山は晴天だったものの、既に大雪、そして案の定、内陸部の会津は猛吹雪。
その中、仕事を終えて名城「鶴ヶ城」に初めて詣でた。
鶴ヶ城は姿形の整ったバランスのいい城だ。
白鷺城とも呼ばれる姫路城のように真っ白な壁で、瓦は赤瓦だ。
赤瓦は雪が積もり見えなかったものの、雪の鶴ヶ城は実に風情があり美しかった。
「いとおかし」の世界だ。
会津は蒲生宇治貞~松平家に続き、明治維新の時代は京の都の「守護職」となり都の警備を仰せつかり、新選組を配下に置き、薩長土の宿敵となった。
戊辰戦争後は、会津戦争となり、あの白虎隊の悲劇を生んだ、いわれの地だ。
会津の教育は見事だった。
やはり、維新軍を相手に最後まで戦い抜いただけあり実に根性のある教育を施していた。本当に尊敬に値する藩であったことが、この地に来てあらためて分かった。