塾長ブログ

2018/06/08

九州、萩、下関

5日間の長い旅をしている。

今日は久しぶりの萩。何年振りだろうか。

高杉晋作が生きた街だ。

仕事を終えて「松下村塾」「松陰神社」へ参拝する。もう五度目だ。

全国中から寄付金が集まり、立派な建物が次々と建設され、装いも新たになっていた。

また、萩全体が観光地として整備され、金をつぎ込んでいることがうかがい知れる。

松陰先生には、本殿に向かい日本を変えるべく男塾の活動を続ける「決意」を述べた。聞き届けてもらっただろう。

今年の春から「明倫学舎」がオープンしていた。歴史に詳しい人はすぐピンと来る名前だろう。

そう、あの「明倫館」のことだ。志士たちが学んだ萩の學校だ。

一昨年前まで、実際に使っていた校舎を閉鎖して新校舎を近所に建築し、旧校舎を改装し、維新の展示場にしている。ここは見ごたえがある。

今は懐かしい何とも風情のある校舎だ。

長州ファイブがいかに近代日本を築き上げる礎になったかを、解説してくれる。長州なかずんば維新派なく、近代日本もなかった。

薩摩以上に日本の夜明けを築き上げた立役者だ。本州の端っこから、九州の最南端から、歴史の扉を開かす勢力が現れた。



萩の街は、飛騨高山同様、多くの外国人が来るという。

観光客はあの不便な田舎に200万人もくる。

何であのような不便な場所が長州藩の中心であったかというと、長州藩は西軍として戦をした関ヶ原で負けて、徳川幕府が罰として、不便なド田舎に藩庁を移転させて、力を弱めようとしたからである。

維新が残る萩には、伊勢神宮同様、定期的に訪れるべき場所だ。

さて、今夜は馬関こと下関で親友と一杯飲む。

下関海峡を臨むいつものホテルで宿泊である。