5日間の長い旅をしている。
今日は久しぶりの萩。何年振りだろうか。
高杉晋作が生きた街だ。
仕事を終えて「松下村塾」「松陰神社」へ参拝する。もう五度目だ。
全国中から寄付金が集まり、立派な建物が次々と建設され、装いも新たになっていた。
また、萩全体が観光地として整備され、金をつぎ込んでいることがうかがい知れる。
松陰先生には、本殿に向かい日本を変えるべく男塾の活動を続ける「決意」を述べた。聞き届けてもらっただろう。
今年の春から「明倫学舎」がオープンしていた。歴史に詳しい人はすぐピンと来る名前だろう。
そう、あの「明倫館」のことだ。志士たちが学んだ萩の學校だ。
一昨年前まで、実際に使っていた校舎を閉鎖して新校舎を近所に建築し、旧校舎を改装し、維新の展示場にしている。ここは見ごたえがある。
今は懐かしい何とも風情のある校舎だ。
長州ファイブがいかに近代日本を築き上げる礎になったかを、解説してくれる。長州なかずんば維新派なく、近代日本もなかった。
薩摩以上に日本の夜明けを築き上げた立役者だ。本州の端っこから、九州の最南端から、歴史の扉を開かす勢力が現れた。
萩の街は、飛騨高山同様、多くの外国人が来るという。
観光客はあの不便な田舎に200万人もくる。
何であのような不便な場所が長州藩の中心であったかというと、長州藩は西軍として戦をした関ヶ原で負けて、徳川幕府が罰として、不便なド田舎に藩庁を移転させて、力を弱めようとしたからである。
維新が残る萩には、伊勢神宮同様、定期的に訪れるべき場所だ。
さて、今夜は馬関こと下関で親友と一杯飲む。
下関海峡を臨むいつものホテルで宿泊である。