塾長ブログ

2018/11/19

飛騨高山

仕事と家族旅行を兼ねて、飛騨高山まで車で行って来た。往復丁度1000キロ運転した。

自動運転なのでまったく疲れない、便利になったものだ。

高山市は、もうこれで7~8回目くらいになろうか。

だか、全て仕事だけして帰るので、観光はしたことがない。

例えば高山の朝市は有名だが、行ったことがない。

日本中旅をしているが、若い時分から仕事旅に徹していて、観光をしたことがないのに、旅行した気になっている。

今の高山は世界の観光都市と化してしまっている。どこを見ても外人であふれかえっている。

高山は便利なところで、ここを拠点に、奥飛騨温泉郷、松本、上高地、白川郷、下呂温泉などに行けるところだが、寒くて、雪が降る、典型的な内陸部気候の寒い寒い土地だ。

始めて白川郷に行った。

世界遺産の白川郷は行くだけの値打ちがある。

あの「合掌造り」の建物は、建築工学的にも優れたもので、どうしてこのド田舎でこれほどまでのハイテクノロジーの民家を造り得たか不思議なのだ。

雪の重量を緩和させ、逃がすために、土台に対して屋根構造体が固定していない構造になっているのだが、これを考案した設計者は天才的なのだ。それは、現代の豪雪地の建造部の構造にも行かされているほどだ。

また、何故、四層、五層、の多重階層になっているかというと、養蚕による糸紬工場を兼ねていたからである。

二階以降は、作業場として機能していた。建物にはその時代の生活と密接に関連している。今でも小屋裏三階を造ることはあるが、必要性がないので小屋裏は利用していないが、彼らはそれを利用しないといけないような生活をしていた。


昔は白川郷全ての建物が合掌造りになっていたそうだが、今の建築費になおしたらとんでもない価格になるので、普通の木造軸組工法の家も多く散見される。

外人たちは、その風情と風景にだけ関心があるようだが、外人向けに、合掌造りの技術を勉強できるコーナーもあったら、とも思った。

建築というのは、民族の歴史と文化と数学的知見と気候背景と安全性がもろに出るところだ。

例えば、西洋ではジュノサイトの歴史であり、他民族からの侵略が繰り返しておきたので、引き戸はあり得ないし、開き戸でも内に向いて開く構造しかない。外に開いたらいくらでも敵が侵入出来てしまう。窓は小さく容易に中に侵入出来ないようにしている。

日本のそれは、すべからく引き戸、しかも、白川郷の建物は外に対して障子一枚、無論、鍵をかけることはできない。昨今は開き戸の家になってしまったが、どちらにも、開いており、そこに、安全性の考慮はない。安全な国だからだ。

更に、掃き出しのドアのオンパレードだが、これもいかに安全であったかを物語っている。西洋には掃き出しはまれだし、2✖4の建物では、掃き出しは構造上つくりにくい。

白川郷見学も、風景だけではなく、このような文化的背景を知るための「目」をもって村をプラプラしたなら、また違ったものが見えてくるはずだ。

世界遺産でも、何とか銅山とか、何と製紙場など、特に行かなくても良いと思うが、合掌造りだけは一見下方がいい、と、書くと、その地方から文句が出るだろう。

まっ歴史的建造物は、その建造物自体がその時代を現代の人に当てたメッセージになっている、一つのタイムカプセルである。
歴史があって、今があり、歴史を断絶する民族は滅びていく。

歴史の分断の連続が中国と韓半島にある国家という未発達で、民度の低い人種をつくり、歴史の連続と継承が日本という優れた文化を持つ民族と世界に冠たる国をつくりえた。

そのようなことに思いをめぐらせながら白川郷を後にした。