中村哲医師がアフガンで殺害された。生前の功績を称え謹んでお悔やみを申しあげます。
グアムの友人の芳賀健介氏からも、
「医師がいない地域とかで、それが目的で派遣されたとはいえ33歳の多感な歳に治安が物騒なアフガニスタンに34年も居続け逃げず、本業の医師の他に荒地を開拓し農業用水を自身が開発して井戸を掘り続け、やがて広大な農地を作り上げた人が中村さんでした。これは偉業です。」
とその訃報に対するコメントがメールで届いた。
「自分はテロとの戦いはしていないし、グアムで貢献していると言われてもレベルが違う」と謙虚なコメントをされていた。いやいや貴方も立派ですよ。一人でグアムに神社を建立し慰霊をしているのだから、なかなかできることではない。
中村医師を襲撃し殺害したISの悪魔の連中には言いたいことが山ほどあるが、今回はまた違った観点で本事件について語ることとする。
この偉人の中の偉人とも言える日本人を、日本では死ぬまであまり知らなかったのではなかろうか。ほとんど中村さんに関する報道が為されていないからだ。これだけ献身的なボランティアが出来る人はいない。まさしく菩薩様そのままの生き様だ。
日本のメディアは戦場に出向かず、安全地帯にいて記事を買ったり、孫引きした記事を書くことがよく知られている。ジャーナリスト精神が欠如しているのである。
中村さんの活躍を多くの日本人が知らないのも、そんなマスメディアのスタンスに原因がある。
また、このような偉人は生きている間にノーベル平和賞を受賞させるべきであり、まったく平和に貢献していないどうでもよいゼスチャーだけの政治家や、グレタのようなドアホが平和賞候補になる、というスウェーデンが決めるノーベル平和賞なる賞は、実に作為的で公平に世界を見ていない歪曲しきった政治的な色褪せた賞でしかない。
こういった賞は、中村哲氏のような献身的な人に捧げるべきである。
そして、最後に、スウェーデンという国いもそこの国民性は、実に薄っぺらい国である。
不毛な砂漠に井戸を山ほど堀り、灌漑用水をつくり、緑あふれる農場に変え、食糧と水の問題を解決した中村さんの功績はアフガンの人達に永遠に語り継がれることだろう。
そして、今後数百年に渡って中村哲さんの仕事により、アフガンの人々は恩恵を受け続けることだろう。
以上