塾長ブログ

2020/11/28

「ザ・男気対談」講演会

明日は岡山駅前のホテル「まきび会館」で、呼ばれての「ザ・男気対談」という講演会である。

コロナ不況期のなかで「いかに生きるか」について語れ、と言われているので思うことを率直に述べようと思っている。

今の世相を見るつけ、結局「死にたくない」ということに問題の淵源があるように思う。

日本人は正しい「死生観」に戻るべきである。

正しい「死生観」とは、「死んでも死なない」という真実である。

それは拙著最新刊にも書いたし、今まで散々言ってきた。

人間は生まれたらいつか死ぬ。

この絶対的な法則は変えれない。

「死」は神がつくった摂理である。しかし「霊界での生活」と「転生輪廻」という仕組みが「死」の先にあり、「死」をジ・エンドではないように保管している。

実に見事な法則ではないか。

「死」が存在せず、千年も一万年も生き続ける方がよっぽとしんどいとは思わないか。

だから、どこかで「死」が訪れた方がよい。

さして、人間は「死ぬ」こと決まっていることだが、死ぬ「時期」と「死に方」を知らせないようにしている、これも約束弧度である。
だから突然市が訪れて嘆き悲しむことになるのだが、霊界からすると、またその人の人生計画からすると予定通り都言うことになる。

この世では身内や友人が悲しみに暮れていても、あの世では久寿玉を割って帰還を喜び歓迎している、そのような逆説が起きている。

寿命も決まっている。

伸ばす方法はあるが、大方の人は寿命が来ればお迎えがくる。志村ケンも、大橋巨泉も、川島なおみも、石立鉄男も、お迎えがきっちり来たはずだ。あれも完璧、石立鉄男は64歳で死んだが決して早くない、兆度よい年齢である。おもいっきり生きて死んだ。

コロナで死ぬ人は「寿命」である。逆に寿命が来ない限りコロナで死ぬことはできない。

こういった霊的真実を知っている人とそうでない人は、コロナ禍の過ごし方が決定的に違う。

少なくとも僕には恐怖心が微塵もない。

公共機関でもマスクをすることもない。あのような下等生物?生命体とも呼べないウイルスなどに「人間様が負けてたまるか」と思って生きている。こいつが僕の身に及んだら「成敗してくれるは!」と思っている。

このような考え人と、コロナに罹りたくないと身を縮めて生活している人では、ずいぶんコロナの時代の生き方は異なることになる。

僕は長生きに興味はないし、使命を終えたらさっさと天上界に還り、そこで霊界を見聞することを楽しみにしている。

地上への執着はない。

今、61歳で還暦を過ぎて生きているが、まあまあよい仕事も出来たと思っている。「生」ある限り天下国家社会万人のために生きる人生をおくるつもりではいるが、明日、お迎えが来ても1mmの後悔もない。

やりたいことをして生きて来たし、己の価値縮度で生きてきたきた。社会の物差しで生きることを拒んで来た。

チャレンジし続けて来た人生であった。だから何の「悔い」もない。

「死」の克服、それがコロナ禍の生き方である。

外出しにくい世の中になったのであれば、チャンス到来と、この時期にしっかりとあの世の研究をすればよいではないか。

死んだその瞬間から死後の世界は「現実」であり、「信じる」、「信じない」という類のものではなくなる。

今しか、死後の世界、霊界研究はできない。

そして霊界研究は「生き方」を学べるし、人生の秘密を解明できる、という研究した者だけの特典がついてくる。

「男塾」で「霊界」を学ぶ、それがビジネスマン、経営者、主婦、店主、を脱皮させ、より成功する人生を手に入れる秘訣である。まっ、明日は成功哲学も説きたいが、そんな話もしてみたいと思っている。

押忍