今日は11月19日、119だ。救急車を呼ぶナンバーだ。
6月1日から第二ステージの男塾を再開したが、119回からの再スタートだった。
あれから154回まで配信した。つまり、35回書いた。原稿量は、一回が長文化したので以前の5倍は書いているはずだ。
それにちなんで、本日はメッセージを配信する。
10月1日から「桜大志」に改名して活動をしているが、
いよいよ本を出す。
桜大志の処女作は新春2月発売で動いる。
題名は決めているが内緒だ。
今は、執筆と編集作業に追われていて、通常業務と合わせて超多忙だ。
20日が締め切りなので、作家の気分を味わっている。
10万部売るつもりだ。無論、ベストセラーだ。小さい目標設定は性格上できない。
自費出版でもないし、慈悲出版でもない。
原稿を出版社に持参して、内容に共感してもらい、「これなら売れる、面白い」と思ってもらえたのだろう。ありがたいことだ。
ずっと言ってきたことだが、思いは実現する。思考は現実化するものだ。
男塾からの配信する、文書と声を通して日本に影響力を行使して、広く警鐘を鳴らすとともに、世直しの一助になることを目的に設立した。その目的と理想からすると、無限の活動を要求される。終わりはない。
来年から、講演活動、執筆活動はさらに活発化する事だろうし、そうならねばならない。
世界中もまわりたい。
11月、12月だけで既に4回の講演会も入っている。
言論人は、情報が入り人物が多数存在する「東京」に住む必要性がある。
来年は、20年ぶりに東京に住むことにする。まっ予定通りだ。
岡山に帰って来たのが1995年、あれから丁度20年が経過した。経験を積み、今は男塾をメインに活動している。本来の仕事に就いた勘がある。
都落ちしたが、再び、上洛する。年数はかかったがこれも予定通りだ。
しかし、全国中を回るのでずっとはおれないが。
オフィスも、岡山、石垣、東京と実に広く分布してあるので、体が三つ欲しい。
東京か・・・
そもそも人脈があちらにあるので、楽しみだ。男塾の仕事の性質上、情報が集まる世界都市東京は外すことはできない。
起業して半年だが、多角経営で農業まで手を出している。既に、四つの事業を手掛けた。
が、実に面白い。
最後になってしまったが、「桜大志」の意味を解説する。
名前を変えたら人生が変わる。
字画も大事で、馬鹿にしてはいけない。不見識の代償は高くつく。
字画では昇龍となる、良い字画になった。偶然にも。
木下藤吉郎、羽柴秀吉、豊臣秀吉と昔は何度も姓名を変えたものだし、それが普通だった。
斎藤道山に至っては、6度変え、その度に出世している。
・京都妙覚寺の僧侶(法名は不明)・松波庄五郎・西村勘九郎・長井新左衛門尉・長井新九郎規秀・藤原規秀・長井利政・斎藤利政そして斎藤道三を名乗る。
現代の一回の姓、で、変えずに一生というのはどうなのか、と思う。年代と共に、出世魚の如く、その時代、その年代、その肩書に合った姓名にするのも昔の人の知恵だったのだろう。無論、女性は一度は変わることが多いだろうが。
作家になるので変名の「時」が来た。
「桜」は日本の象徴であり、最も愛する花だ。
事務所に桜の油絵を4枚飾ってあるほどだ。
苗字は、これ以外ない。
「大志」は解説するまでないことだろう。
桜である日本を、世界で一番、最も尊敬される国家にするという、大きな志で、今後は命を使う、という意味だ。
まっ、2人の娘をもち4人の孫ができ、春には6人の孫を持つ身にになるのだが・・・
今のところ、リクエストした「大志」も「桜」も、かすっているが、そのまんま名前につけてくれないので
とうとう、自分につけたということでもある(笑)
「とうとう自分の名前としてつけたんだ!」
娘にそう揶揄されたが、その通り、当たっているので何も言い返せなかった。
いや、実はもっと歴史はさかのぼる。昭和62年のことだ。
二人目の子がうまれたが、生まれる前から名前は「大志」に決めていた。
当時は、もう生まれる前に、男女の性別を知る術はあったが、古風な考え方なので拒否し、当日を迎える方を選んだ。
「女の子」だった。オノコでないので、「大志」を命名ことができなかったのだ。
よって、「大志」という名前への郷愁は、28年にも及び、深いのである。
子と孫、二代に渡って、追及したが、目標を達成することができなさそうなので、自分につけたというわけだ。
よくよく考えたら、もともと、自分の名前だったのだろう。因果は巡る。
はい「桜大志」です。
もう毎日その名前を書き、毎日配信しているので、昔の名前を忘れて来た。